創立40周年記念誌 地域社会振興財団
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健康福祉プランナー養成塾の開塾は1999年(平成11年)である。単に20世紀から21世紀への変り目と言う位置付けだけではない。低成長社会となってから約10年、平成の大合併が政府主導で始まり、2000年(平成12年)に施行される介護保険法や改正(新)地方自治法、地方分権一括法によっても「措置から契約」や「地域のことはそこに住む住民が決め、自らの暮らす地域の未来に責任を持つ」などへの考え方の変換が否応もなくというか、むしろ、内発的にも要求される時代と予感された。経済や社会資源の状況からも、全てを役所任せにするのではなく、住民がサービスを受けながら行政と共に問題解決を図る社会への移行を始めざるを得なかった訳である。次の成熟社会への改変を速やかとするため、特に対人性の高い健康福祉サービスにおいては、行政職員と医師・保健師や、更に福祉関係者や住民代表の中から気概を有する人々が集合・一体となって「我らの地域を良くする」エンジンを構成することが有望な方策と考えられた。養成塾が、他に例を見ない多業種横断型の社会人研修として発案された所以である。本財団30周年記念誌にも記したが、「明るく健康的に安心して暮らせて人間的な充実感に満たされた生涯を送ることができる地域づくり」が地域活性化の基盤であることはいうまでもなく、地方分権化と共に各地域が主体的に行動することが要求される。しかし、地方ほど社会資源に乏しく、インフラなどの基礎的体力に欠けていることは否めない。少ない資源を有効に利用して「健康で活力ある地域」を作るためには、何よりも人材の育成が必要であると考えられた。「カネ・モノがないのならヒト・チエで勝負」を基本的コンセプトとして「養成塾」はスタートしたのである。塾生アンケートに基づき改良の手は入れているが、この基本コンセプトには現在も変更はない。 養成塾の開塾までには約1年間の準備期間を有した。へき地診療所等で「おらが医者」を勤めた経験から医療とはもっと包括的で開いていて行政や福祉と近接していることを実感していたし、同窓会で発行した「21世紀の自治医大への提言(1998)」に第一線の現場で必要であり、また卒業生の付加価値を高めるためにも医学の履修に加えて社会福祉士相当(福祉指定13科目)の知識・技能を付与することを提案したりしていた。このことが養成塾起案のベースとなった。しかし、施策医療の末端は担ったものの、その本流や仕組み全体を理解している訳ではなかったし、また、保障や福祉の個々の内容や相互のつながりの全てを知悉していた訳ではない。そこで、当時、厚生労働省から本学に出向しておられた江口卒後指導部長や石井医療相談室長の知識やアイディアを拝借するべく準備会を設けた。準備会も職域横断で出発したのである。爾来15年間、今年は第14回養成塾として50名近い受講生に集まっていただき、卒業生も300名を越えた。ご支援頂いた皆様方には心から感謝申し上げる。特に、講師の先生方にはご多忙の中をカリキュラムが組めるようにご予定の融通までして頂いてご出講を願っている。先生方のご理解と長年のネットワークが何よりの財産と痛感しており、改めて厚く厚く御礼申し上げる次第である。養成塾開講式風景155健康福祉プランナー養成塾運営委員運営主幹 坂 本 敦 司健康福祉プランナー養成塾

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