創立40周年記念誌 地域社会振興財団
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の在り方など、多岐にわたるテーマを設定し、各回とも著名な講師をお招きしての講座となりました。梶井先生には第2回目の医師育成の講座にてご講演をいただきました。「総合医」という言葉に初めて触れた参加者も少なくありませんでした。この「夢プロ」の時期と前後して、私も地域社会振興財団が主催するフォーラムにお招きいただき、活動事例を発表させていただく機会が増えました。今まで医療を受ける、サービスの受け手だった住民が、地域医療を支える側に回るという発想は珍しく、「目から鱗だった」との感想をあちこちから頂戴しました。その一方で私が感じていたジレンマが当時のマスコミ報道でした。「たらいまわし」「医療崩壊」といったセンセーショナルな言葉が躍り、そこで登場する住民・患者はそうした事象の「被害者」といった位置づけになっていました。「そうではない、私達こそが医療を支える側にならなければ、地域の医療は大変なことになるのに」との思いは募りますが、私たちにはそのメッセージを全国に向けて発信するだけのネットワークも力もありませんでした。このような悩みを率直に梶井先生にお話しし、「何とかならないものでしょうか」と申し上げました。当時の財団は、地方自治体との協力については以前からの歴史もありましたが、住民団体との協力、支援についてはいわば守備範囲の外だったようです。しばらくしてから、梶井先生から「藤本さん、以前おっしゃっていたこと、やりましょう!」とお声をかけていただきました。今思えば、そうした財団のミッションの幅を広げるために、先生がご尽力くださったのだと感謝の気持ちでいっぱいです。こうして、「地域医療を守り育てる住民活動全国シンポジウム」が誕生しました。1回目のシンポジウムは2009年(平成21年)の夏に、東京の秋葉原ダイビルで行われました。時期を同じくして活動をしていた、兵庫県丹波市の「県立柏原病院の小児科を守る会」と、青森県五所川原市の「西北五地域医療研究会」、そして「NPO法人地域医療を育てる会」の3団体から事例発表がありました。日本の各地で、住民活動をされている方々や、自分の地域にそのような活動を望んでいる行政・医療関係者の方々がのべ184名集まりました。シンポジウムは一言でいうと「これで、いいんだ」という思いを強くできた2日間でした。「これで、いいんだ」には2つの側面があります。一つは自分の地域活動に対する思いです。私たちは自分たちのこれまでを振り返り、他の地域で同じ志を持っている方たちから学び、たくさんの元気をいただきました。そのように、自分の地域の活動について 「これでいいんだ。方向は間違っていないんだ」と感じることができました。2つ目はこのフォーラムの存在についてです。「これでいいんだ。こういう場が、今とても必要なんだ」と強く感じました。参加者は「これでいいんだ」に安住することなく、元気をもらって、様々なアイディアを持ち帰って、また自分たちなりの活動に取り組んでいく…そのような1年に1回の節目として、このフォーラムは開催が続き2012年(平成24年)で4回目となります。「全国規模でのシンポジウムとは別に、自分たちの地方でこのような機会を作りたい」との声にお応えして、2011年(平成23年)には地方シンポジウムも開催しました。地方シンポジウム開催地の宮崎県延岡市では、その地域に関連のある方々が一堂に会し、全国シンポジウムより地域密着型の、具体的なディスカッションが盛り上がっていました。このように、シンポジウムの誕生から成長(?)まで関わらせていただいた者として、まずは貴重な機会をいただけたことを心から感謝申し上げます。と同時に、このシンポジウムが、今後どのような成長を続けていくのかについても大いに関心があります。私たちの地域では医療者の不足もまだ解消されていませんが、この点について地域住民の認識は深まってまいりました。さらなる問題は、高齢化や慢性疾患の患者さんの増加による医療費の激増です。医療者不足による様々な事象は、住民にとってわかりやすいものが多いのですが、医療費の増加は目に見えにくく、また病気予防や疾病の管理など地道な努力が必要なものはなかなか特効薬がありません。この点について住民の意識を変えていくために何をしたらよいのか。これが今まさに当NPOが直面している課題です。この問題は、日本各地でも深刻化してくると思われます。住民にとってわかりにくい、そして行動変容に根気がいる内容をどのように伝え、地域を変えていくのか…これが今後の地域医療の課題となってくると思われる今、全国シンポジウムの果たす役割も、ますます大きくなってくるのではないかと思っています。179

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