地域医療を守る会が2008年(平成20年)10月に、小児科、産婦人科がなくなり、ついに土曜日救急休止に追い込まれて初めて結成された。健全な機能にもどるためには何をするべきか、住民はどのように活動すべきか、行政とどのように協働するのか試案していた最中に地域医療を守り、育てる住民活動全国シンポジウム2009への誘いがあった。わらにもすがる思いで飛行機に乗ったのを覚えている。会場には、北は北海道、南は宮崎県というように全国各地から集まった人々の熱気が漂っていた。地域医療を守り、育てる起爆剤を求めて。まず、自治医科大学の梶井先生の「なぜ住民活動が必要なのか」の基調講演を聞いた。地域医療の再生のためには、医療機関や行政だけが努力しても限界がある。患者であり自治体病院の本来の経営者でもある住民が、「当事者」として地域の医療や病院の経営について考え、主体的に行動していく必要があると教えてもらった。その後の事例発表もやみくもに歩んでいる我々にとっては、一筋の光を見た思いだ。今でも藤本晴枝さんのことば「自分がかわれば地域が変わる。地域が変われば医療が変わる。もう、お客様ではいられない。」「そうだ。」当事者として活動すべきなのだ。さらにグループディスカッションでは、それぞれの立場で地域医療再生について取り組んでいることや現在の課題、今後の方向性について熱い思いをぶつけあった。小さな流れが大きな流れへと変わっていくのが手に取れてうれしかった。持ち帰った知恵袋を活動のエネルギーにかえて一歩一歩、自分達に出来ることから地域に合った活動をしていったのはいうまでもない。翌年のシンポジウム「育てようみんなの医療!つなげようみんなのわ!」では、事例発表を任された。県行政との協働から住民活動の広がりの事例である。地域医療政策課、鎌村医師あっての我々だ。医療に関しての情報や助言をいただき導いていただいた。本当に恵まれていたのだ。地域医療再生に向け危機的な、激しい状況を広く、正しく伝えていただいた結果、活動が大きく前進した。住民が住民にうったえたコンビニ受診の寸劇、劇を通して住民に、医師の過酷な勤務の状況を伝え、医療資源を大切に使わなければいけないことを自分たちの言葉で分かりやすく説明し適切な受診を行うことを促した。この事例も一回目のシンポジウムに参加し、それが契機となった証の一つである。当事者として住民への働きかけを行ったのだ。寸劇も会の回数と同じで「土曜日救急休診の今」「かかりつけ医って大切よ」と続いている。現在、もう一度「コンビニ受診」の別場面を試案中である。2011年(平成23年)のシンポジウム、「創ろうみんなの医療!深めようみんなのわ!」では、「医療者を支える住民活動」いわゆる一人の人間とし、住民は、医師の立場に立って考え、「お客様」でなく、医療や健康づくりについて学び、節度ある行動を行うことが求められている。つまり当事者として医療を支えなければいけないのだ。このシンポジウムへの参加を重ねることにより、まかれた種がだんだん大きく成長しているのは私だけなのだろうか、いや、一人一人が刺激をうけ、感動し、知恵と工夫の輝きで医療再生という大きな花を咲かそうと汗を流しているのだ。シンポジウムで知り合った仲間とともに。181地域医療を守る会副会長 石 本 知恵子 シンポジウムに参加して
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