【本邦初の地域医療の教科書が生まれた背景】本邦初の地域医療の教科書をつくるということで、編集から執筆まで関わるように地域医療学の梶井英治教授からお誘いを受けたが、そのときには事の重大さを今ひとつ理解していなかった。私が医学生だった1983年(昭和58年)から1989年(平成元年)には、「近い将来、医師過剰時代が来る」とまことしやかに言われていた。ところが近年、地方の医師不足はますます深刻になっている。2004年(平成16年)度からの新医師臨床研修制度で地域医療研修が必須化され、その後に多くの医学部が地域枠をつくるようになり、2007年(平成19年)には全医学部で地域医療実習を実施するように文科省で医学教育モデル・コア・カリキュラムが改訂された。【目で見てわかる教科書に】そのような時代背景にありながら日本には地域医療の教科書がなかったことに気づいたのは、梶井教授からのお誘いを受けた後だった。確かに「家庭医療学」「プライマリ・ケア」の教科書はあった。「地域医療」をタイトルのキーワードにした一般書は山ほどある。だが、地域医療の教科書はなかった。一般書ではなく参考書でもない。教科書ならば、疾患別のマニュアルではいけない。システマティックに地域医療を論じなければならないだろう。一方、地域医療を経験していない医学生や研修医、あるいは医師や医学部教員にも地域医療が理解できるような“目で見てわかる教科書”にする必要性も感じた。【現場を活かした教科書に】私の場合、原理主義ではなく現場主義である。「地域医療とは。。。」から始まる“そもそも論”や総論はさておき、地域での実践を熱く語れる現場の医療者も執筆者として多く参加すべきと考えた。私たちの現場の執筆者の役割は地域医療の現場の雰囲気(グルーブ感)を教科書の紙面に活かすことだと意識して、編集および執筆に関わった。スタジオでの正確な演奏をそのまま間違えないようにライブで再現しようとするのは二流のミュージシャンで、ライブのグルーブ感を活かすようにスタジオ収録の際に意識するのが一流のミュージシャンだと聞いたことがある。教科書で習ったことを■子定規に現場で実践することが困難なことは、だれもが経験済みと思う。それならば、現場でのエピソードを元に教科書をつくるように発想を転換すればよいはずである。 【地域医療テキストの二つのウリ】“目で見てわかる教科書”にするために、巻頭には「地域医師の1日」と題して、私も含めた当診療所スタッフや患者さんがモデルとなった多くの写真を用いて、地域医療に従事する医師の1日をわかりやすく描いた。“現場を活かした教科書”にするために、第Ⅱ章の中で、地域での実践を三例挙げた。都道府県では島根県、市町村では島根県西ノ島町、岩手県藤沢町を先進事例として紹介した。各執筆者のおかげで、各地での優れた地域医療の取り組みがリアルに伝わってくる力作となった。 また第Ⅳ章は、名田庄での経験を活かし、架空の名田荘診療所を設定した小説風の作品に仕上げた。地域医科大学の後期研修医である若木徳太(若きドクター)医師が、ベテランの地井貴一(地域一)医師のもと、名田荘診療所で1年間経験を積み、ある家族の診療を通して人々のライフサイクルに関わりながら医師として成長する姿を描いた。【自治医科大学ならではの教科書】大学人と地域の実践者が、強力なタッグを組んでなし得た編集作業であった。この結束力、絆こそが、熱意ある学生教育と全寮制の中で育まれていった自治医科大学の強みではないだろうか。186国保名田庄診療所長 中 村 伸 一 地域医療テキスト
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